魂の骨格 第25回 監督 村石宏實 (3)
2011-07-15 00:00 更新
『ウルトラマンガイア』を語る時、六角柱の形態からマシンに変形するコンテナビークルの存在は欠かせない。MLRSバイソン、GBTスティンガー、シーガル・フローター、シーガル・ファントップなど様々なコンテナビークルが劇中に登場したが、最も強いインパクトがあったのは戦闘機へ変形するXIGファイターシリーズであった。
魂の骨格ウルトラマンガイア編の3回目は、XIGファイターの活躍が中心となった第10話「ロック・ファイト」を手掛けた村石宏實監督にお聞きした。この第10話では村石さんは本編の監督と特技監督を兼任している。
■ U.M.W.が当時あったらそのまま吊るして撮影してますよ
── 第10話はXIGファイター全機が出動するという、凄いお話になりましたね。
村石 毎回やってたら大変だよね(笑)。本編と特技監督を一人でやったからできたところもあったと思います。特技監督が別にいる場合だと、細かい打ち合わせを重ねないといけないし、その時間も掛かりますからね。そういった場合、あまり手間ひまを掛けて自分の首を閉めるようなことは、演出家としては拒否しちゃうと思うんです。でも、自分でやる分には、苦しいのは自分だからね(笑)。それならとことんやってしまおうと。シリーズ初期ですし、まだ色々な余裕のある頃だから、やるなら今だろうって感じでした。
── エリアルベースからXIGファイターエスエスとSGが連続して射出されるシーンは凄いですね。
村石 今見直すと結構丁寧にやってますね(笑)。バンダイさんのXIGファイターは変形ギミックがしっかりと作り込まれてましたから、これを一つの目玉として使いたかったんです。XIGファイターの格好良さの追求も、演出家としてチャレンジしたかったし。特にこの回は、ドッグファイトに重点を起きました。ドラマのちょっと薄い部分をXIGファイターのアクションで見せていって、高揚感を出そうと思ったんです。
── XIGファイターのキャノピー越しに、他の機体が映るシーンも印象的でした。
村石 あれは実はそれほどテクニック的に高度なわけではありません。操縦席の映像を撮って、外の風景との間にさらにキャノピーを合成しています。ガラスの材質感を合間に入れることで、操縦席の臨場感を出してみました。何をどううまく使えば、リアル感を印象的に出せるかっていうアイディアの勝負ですね。
── ドッグファイトシーンはどのように撮影されたのでしょうか?
村石 XIGファイターのミニチュアをグリーンバック(※1)で撮影して、流れる空の背景などに合成しています。飛びながら変形するところだけはCGを使っていましたが、他はみんなミニチュアを吊ったり、機体にシャフトを付けてぐるぐる回したり。グリーンバックで撮ったミニチュアを、サイズを変えて何機も合成して遠近感を出したりとかね。
── XIGファイターのミニチュアはどんなものがあったのでしょうか?
村石 飛行機自体は一番大きいもので50センチかな。木製だったと思います。他にコンテナに変形した状態のものもありました。変形に関してはCGだったので、変形ギミックを備えた物はなかったんじゃないかな。以前だったら中にモーターを入れて電動で動かしたり、ピアノ線で引っ張ったりして変形させたり。変形ギミックを持ったミニチュア自体をフィルムでコマ撮りして、アニメと同じように見せたりとか、パーツ別の変形カットを撮って、編集でつないで見せたんですけどね。でも、この頃はもうCGを本格的に使っていました。
── 当時発売されていた玩具を実際に使用したことはありましたか?
村石 何機もまとめて撮る時は、玩具のXIGファイターに少し塗装をほどこして吊って飛ばしたこともありました。ものすごくロング目の時には役立ちましたね。
── 当時の玩具と、U.M.W.のXIGファイターエスエスとSGを比べてみていかがですか?
村石 当時のコンテナビークルは、トイとして凄く良くできていたと思います。U.M.W.は、トイというよりも模型とか、我々が撮影で使っていたプロップのような感じですよね。塗装やディティールも細かいし、このまま映像で飛ばせますよ。当時あったらそのまま吊るして撮影してますよね(笑)。こういうクオリティの物を出してもらえるのは嬉しいですね。
── ティガ、ダイナ、ガイアの三部作を振り返ってみていかがですか?
村石 そろそろ『ウルトラマンティガ』で育った世代がもう二十歳を越えたのかな? 若い子と話をする時に"(ウルトラマンには)ティガからハマったんです"という話を聞くことがあるんですよ。驚いちゃうんだけど、もうそんなに時間が経ってるんだよね。今にして思えば『ティガ』が成功して、『ダイナ』『ガイア』と続いてくれて良かったと思っています。30年ちょっと前に『ウルトラマン80』を鳴り物入りで始めたけど、シリーズとして続けることはできなかった。そんな経験があったからこそ、『ティガ』からの平成ウルトラマンシリーズに円谷プロさんは賭けていたと思います。当時の円谷プロさんは、平成ウルトラマンシリーズは最低でも3部作で、3年間はやりたいっておっしゃっていました。色々な苦労もあったけど、そこまでこぎ着けられてよかったな、って。
── 本日は、ありがとうございました。
※1 合成を前提とした素材の撮影時に使用される、緑色の背景のこと。
村石宏實 (むらいし ひろちか)
1947年生まれ東京都出身
日本映画監督協会会員
円谷特技プロ光学撮影部(初代ウルトラマンなど)をかわきりに、1970年フリーの助監督に。1973年に自主映画「OH!カオ」で初監督。以降「ウルトラマンティガ」「ウルトラマンダイナ」「ウルトラマンガイア」(TV)、「ウルトラマンティガ THE FINAL ODYSSEY」(映画)等で、監督を務める。2011年公演の舞台「ウルトラマンプレミア2011」の演出を担当。5月の名古屋公演に続き、秋に東京、冬に大阪で公演予定。