魂の骨格 第4回 オリジン・オブ・バルキリーのオリジンを探して(後編)

オリジン・オブ・バルキリーのオリジンを探して(後編)


1985年当時、バンダイのポピー事業部で「マクロス」商品を担当したのは森島隆之さんである。森島さんは1982年の入社であり、社員として初めて体験する年末商戦でタカトクトイスのバルキリーと出会うこととなった。その当時、森島さんはバルキリーをどのように見ていたのだろうか?


■ バンダイへの移行

森島 バルキリーは当時からお気に入りの玩具でしたよ。やっぱりデザインも秀逸ですからね。タカトクトイスさんの変形モデルも一通り持ってましたよ。だから、バンダイに「マクロス」が来た時は嬉しかったですね。担当することが決まり、最初は色々なアイディアを考えましたが、1/55バルキリーは元からバランスが取れた玩具ですから、敢えていじりませんでした。ただ、キャノピーカバーはこっちで考えたものです。タカトクトイスさんのスーパーバルキリーを見て、お腹が設定と違うのが不満で……。それでキャノピーカバーの型を新たに起こしました。キャノピーカバーは最初はキャンペーン用に配布して、劇場版VF-1Aから商品に同梱しています。


■ ストライクバルキリーの発売

--当時、「ハイメタル」シリーズを担当していた森島さんは「重戦機エルガイム」に続くラインナップとして、1/55バルキリーを選んだ。やがて、タカトクトイス倒産から約6ヶ月のブランクを経た1984年10月、バンダイ初の「マクロス」商品としてストライクバルキリーが発売される。劇場映画「愛・おぼえていますか」のクライマックス・シーンに登場した機体の商品化であった。

森島 ストライクバルキリー用の新規パーツに関しては、タカトクトイスさんの方で作られた図面と試作がありました。それを参考にバンダイで金型を起こしています。バルキリー本体についてはマツシロさんの方で既に生産していたものがあったので、それを使いました。


■ 河森さんの考えたネーミング

--ここで気になるのが「ストライクバルキリー」の商品名である。現在はオフィシャルの名前として様々な媒体や商品に使用されているが、映像本編や設定書には存在しないのも事実だ。この名前が付けられた経緯はどのようなものだったのだろうか?

森島 最初からストライクバルキリーという名前があったわけではありません。でも、商品名をスーパーバルキリーにしてしまうと、前の商品と一緒ですからね。やはり違いを出したいと思っていたんです。それともう一つ、F-14戦闘機にトムキャットの愛称があるように、バルキリーも機種ごとに名前があっても良いのでは?という考えもありました。そこで河森さんに相談して、出していただいたのが「ストライクバルキリー」なんです。その後に出したスーパーオストリッチとエリントシーカーも同様に、河森さんにネーミングをしていただきました。


■ 魅力的なパッケージイラスト

--ハイメタルシリーズの魅力として、パッケージイラストが挙げられる。シリーズ最初の商品であるエルガイムは、高荷義之さんのイラストを使用していた。続くストライクバルキリーはガンプラのボックスアートで知られる、石橋謙一さんが担当することになる。

森島 ハイメタルはホビー層向けの商品ですから、プラモデルのユーザーを意識していました。それで高荷さんや石橋さん、開田(裕治)さんにお願いしたんです。個人的にはバルキリーも高荷さんに描いてもらいたかったのですが、既にプラモデルでたくさん描かれていましたからね。だったら、飛行機を描かせたら第一人者の石橋さんにお願いしようと。当時「模型情報」の編集長だった、加藤(智)さんに連絡先を教えてもらいました。


■ 商品ラインナップ

--年末までに9万個以上を出荷したというストライクバルキリーのヒットを受けて、ハイメタルシリーズは劇場版VF-1A(1985年1月)、スーパーオストリッチ(1985年4月)、エリントシーカー(1985年6月)と続いた。これらに共通するのは劇場版の商品であること、そしてタカトクトイス時代には発売されていなかった機体だったという点である。

森島 スーパーバルキリーとアーマードバルキリーはタカトクトイスさんがやってましたし、同じものを出しても欲しくないだろうと思っていました。だったら、当時の最新作だった劇場版のバルキリーをやった方がいいだろうと判断したんです。あの頃はガンダムの「MSV(モビルスーツバリエーション)」もありましたからね。スーパーオストリッチとエリントシーカーの頭部やファストパック、コクピット等は新規で作り起こしています。そういえば、この2機を作っていた頃にはマツシロさんが金型を海外向けに修正してましてね、それで機首が丸まっているんですよ。


■ 1990年版ハイメタルシリーズ

--森島さんは1990年に再始動したハイメタルシリーズにも携わっている。

森島 あの後、マツシロさんが倒産したので、バルキリーの金型はバンダイ栃木工場に引き揚げました。でも金型が完全な状態ではなかったので、頭部などのパーツを作り直しています。あと安全基準の問題で車輪をスプリングではなく、引き出し式にしました。タイヤも黒い部品に替えてますね。ハイメタルということで、なるべく玩具っぽさを抑える方向で手を入れていきました。


■ 20周年記念復刻版

--この時はスーパーバルキリーVF-1Sのみの発売となったが、VF-1J、VF-1Aの頭部も新規に作り起こされていた。また、後続企画としてジェノサイドバルキリーの商品化も計画されたが、試作品が作られた時点で惜しくもペンディングとなっている。この時点で1/55バルキリーは長い眠りにつくことになった。
そして21世紀。時代の要請は再び1/55バルキリーを甦らせた。2001年の20周年記念復刻版、そして現在発売中のオリジン・オブ・バルキリーである。バルキリーが変形ロボットの代表として、多くのファンの心の中に生きている限り、名作玩具である1/55バルキリーもまた生き続けるのだ。


■ バルキリーシリーズの変遷

●バルキリーの木型モデル
河森正治さんのプロデュースによって作られた木型モデルはペイントを施して、商品発売告知用にも使用された。

この時点で商品名は「ZバルキリーDX」とも呼ばれている。
「Z」とは、タカトクトイスの合金シリーズの愛称である「Zキャラクター」に由来するものだが、最終的には敢えてZキャラクターの冠を外すこととなった。


●タカトクトイス版 (1982~1984)
ウィンドウパッケージ仕様。
3,000円以上の商品がウインドウパッケージになることは、当時は珍しいことであった。高級感を出すために、パッケージの表面にはエンボス加工が施されている。

また、ウィンドウの形状は発売時期によって4種存在しており、当時の生産ペースのすさまじさを伺い知ることができる。


●ハイメタル版 (1984~1985、1990)
バンダイ版1/55バルキリーは、ウィンドウパッケージを踏襲しながらも、パッケージイラストがより際立つデザインとなった。

ストライクバルキリーと劇場版VF-1Aには説明書の他に「メカニカルファイル」が付属する。これはメカニックの詳細な解説が書かれたリーフレットで、ハイメタル第1弾の「重戦機エルガイム」にも同梱された。


●20周年記念復刻版 (2001~2002)
金型が失われたため、新規で全パーツを作り起こしている。マーキングはその大半がパーツに直接施されており、シールを貼る手間が大幅に減った。また、翼のクリック、ボディ前後のジョイントなど、過去の商品では緩みやすかったパーツにも改善が施されている。第2弾のVF-1S以降の商品はキャノピーカバーが交換式となる。



●オリジン・オブ・バルキリー (2008~)
20周年記念復刻版がベースとなっており、プラスアルファとして車輪カバーの金属パーツに貼付するシールが新規に付属する。また、VF-1Jには初めてキャノピーカバーが付属する等、より仕様がグレードアップした。

スーパーバルキリーVF-1Aの一条機、マックス機といった過去には発売されていないバリエーション機の商品化も行われている。



森島 隆之

森島 隆之 (もりしま たかゆき)
1958年8月4日/広島県生まれ。

1982年ポピー入社。「重戦機エルガイム」「星銃士ビスマルク」「機動戦士Zガンダム」「超人機メタルダー」「仮面ライダーBLACK」「超人戦隊ジェットマン」等多くの商品開発を担当。
現在はプレックス取締役副社長を務める。

 

五十嵐 浩司

五十嵐 浩司 (いがらし こうじ)
1968年生まれ/青森県出身

・初めて手にした1/55バルキリーはVF-1Sロイフォッカースペシャル
・編集者として、ホビー雑誌各種の他、各種単行本、DVDやCDの解説書に携わる

 


スーパーバルキリーVF-1A(マクシミリアン・ジーナス機)
オリジン・オブ・バルキリー
スーパーバルキリーVF-1A(マクシミリアン・ジーナス機)



価格:9,450円(税込)
発売日:2008年8月30日(地域によって異なる場合があります)
対象:15才~


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